昭和33年ご卒業の河竹雄次郎様が、2020年12月にご逝去されました。
奥様からご連絡を頂きました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
30周年記念誌に河竹様の関連記事が掲載されています。
『この年の思い出・昭和32年柏木貞夫( 旧姓小中)』
光陰矢の如し卒業後19年の歳月は過ぎ去った。走馬灯の如く、瞼に浮かぶ思い出は、毎日のランニングで、最後に「フリー」の掛声の後、あの競走の辛かった事、蛙飛びのしんどかつた事、何度かの合宿練習、諸先誰の愛の鞭、そして又、あの畳の上にキャンパスを敷いた練習場、汗の臭のぷんぷんする部室、帰り途、丸見屋の関東煮のうまかった事、等々、当時の辛かった事も、その度合に応じて、今では逆に楽しい思い出に変った。今往時を偲びその頃の事を断片的ながら書き綴ってみたい。
まず、伝統ある関大レスリング部に志をたて、昭和29年4月から入部したのは、丸谷、若林、河野、町田に柏木(旧性小中)の5人であった。その後、4年次の終、昭和32年秋の関西学生リーグ戦の優勝や東西対抗学生の王座決定戦に参加したのは乾(主将)丸谷、柏木に北岸(マネージャー)であった。然し、この4年間に途中で入部した者、退部した者も多く、軽量級では、辻井、貢、河竹、重量級の辻などがあり、合せて11名の選手が在籍した。河竹選手バンタム級は特にブリッヂが大きく、寝技からブリッヂで立技によく起き上った。家では算盤の先生だった。吾々32年度組も例によって、関大レスリング部の重い伝統を背負い、先輩から情熱の特訓も受けた。そのお蔭で関西学生リーグ戦には、29年の秋、30年、31年の春秋、32年の秋に優勝し、在緒8シーズンのうち5連勝を含む、6シーズン優勝に恵まれた。さらに東西対抗学生王座決定戦には、29年から32年まで関西の覇者として4年間連続し善戦した。
(略)
合掌